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60年の歴史 第5章

第3節 初の海外拠点、松村精型(大連)有限公司の建設

大連松村設計有限公司の設立

2003年(平成15)7月1日、当社は、中国遼寧省大連市開発区黄海路撫順街43東電高新技術中心3Fに全額出資子会社の金型設計会社「大連松村設計有限公司」(以下、大連松村設計)を設立した。資本金61万9000米ドル。董事長(会長)には松村浩史、総経理(社長)に寺島吉郎、副総経理に李成姫が就任した。従業員の募集については、李俊杓氏が、知人である前吉林大学学長の金氏を通じて同大卒業予定者を集め、自らが一次選考した後、浩史社長、寺島総経理が面接のうえ6人を採用した。当初の計画では、現地採用社員を含む14人体制で分散設計開発を行おうとした。

大連松村設計を置いた東電高新技術中心

李成姫は、李成勲海勲貿易総経理の妹で、当時同社で李氏の片腕として活躍。日本に留学していたこともあって日本語はもちろん、日本の文化や考え方にも精通している。浩史社長の中国視察や交渉などでは専属の通訳として活躍しており、李社長自身も身を切る思いで当社に送り込んでくれた。陳舜臣は、その著『日本人と中国人』で、「日本よりも中国のほうが格段にメンツ(面子)を重視する、すなわち徹底した形式主義である。日本は役に立つものをすぐ入れたがるが、中国では実用性だけでは文化をつくらない。ようするに新しいものを入れるのについて、中国人は慎重で用心深い。日本人は気心を知ることを重んじるが、中国人は説得を重んじる」などの違いを挙げながら、中国と日本は距離的には近い国でありながら意外なほどに相互理解が進んでいないと指摘している。中国に進出した企業の多くが今もそうした相互理解の不足に悩んでいるが、当社では李成姫がそうした場合に緩衝となってくれている。

日本からは、定年を迎えようとしていた取締役の寺島吉郎が浩史社長に代わって足繁く大連に通い、李成姫とともに会社設立準備と採用内定者の日本語教育にあたった。折悪しく香港やベトナムで新型肺炎「重症急性呼吸器症候群(SARS)」が発生、一つの部屋に集めてはならないという当局の指示もあって、海辺に行って1日8時間の日本語教育を実施。参加者たちのなかには、終了後もすぐには大学に戻れず、SARS感染の疑いが晴れて初めて復学できた者もいた。11月29日には通訳も入れた6人を研修生として本社に受け入れ、社長宅をはじめ寺島、紺谷徹の家庭にホームステイさせて技術研修に入った。当時を寺島は次のように語る。

研修生は、日本語が全然わかりませんでした。研修生と同じぐらいの年齢だった通訳のほうが、日本語がわかるだけに研修生より早く覚えていった感じでした。

私がいた間は、会社を設立したけれど、事実上設計業務はまだほとんどできない状態でした。中国の天津にあるアイシン高丘の合弁会社高丘六和(天津)工業有限公司と取引を始めたのですが、それも本社工場で造っていました。研修生には研修を兼ねて松村精型からもらった仕事を現地の外注業者に造らせ、それをチェックさせたりしていました。

04年12月24日には、大連松村設計とIP電話が開通した。

吉林大学

 

元吉林大学、吉林工業大学、べチューン医科大学、長春科技大学、長春郵電学院の5大学が合併して2000年6月12日に成立した教育部直属の重点総合性大学で、中国最大規模の学科と完備された高等学府を有する総合大学である。経済学、法学、教育学など12の学科などがあり、学生数は約6万3000人。

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