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60年の歴史 第5章

第2節 革新的経営の展開

ホンダグループとの取引へ

こうした努力を重ねるなかで、当社はホンダグループとの取引 の糸口をつかんだ。

浩史社長には、苦い経験がある。かつて、当社が1985年(昭和60)にCAD/CAMを導入した際に結成されていたコンピュータ・ビジョン社ユーザーの会「CADDSユーザー会」で浩史社長は、同会の幹事や関西の分科会の会長などを務めるうちに本田技研工業の担当者と親しくなった。その関係で同社を訪問した際、鋳造ブロックを見学。帰社して「ホンダのエンジンブロック、エンジンシリンダーの仕事をもらおう」と幸作社長(当時)に相談したところ、「小さな工場で大きな軍艦を倒すようなものだ」と一喝されてしまったのである。「当社にはまだ、それだけの力がない。身の丈にあった仕事をして実力をつけることが先だ」と教え諭されたのだろうと、浩史社長は理解している。社長にとって本田技研工業との取引ができるようになったことは会社の成長を実感するものだった。

大宇自動車の破綻でしばらく途絶えていた大阪技研との取引だったが、同社の畔柳社長が会長に、社長に大出竜三氏が就任すると再び当社との取引が始まった。その大阪技研から打診があったのが、ホンダエンジニアリング株式会社の新鋳造法のトライアルだった。ホンダエンジニアリングとの取引はしかし、つづかなかった。品質を重視する同社は、3次元測定機の導入にこだわったのである。当時当社に3次元測定機はなかった。営業を担当していた尾山満弘は、ホンダエンジニアリングの担当者が「3次元測定機を入れたら呼んでください」と言って帰っていったときの悔しさを今も思い出すと言う。

3次元測定機

3次元測定機

しかし2003年(平成15)、同じルートで本田技研工業熊本製作所(以下、本田技研熊本)との取引が始まった。本田技研熊本はホンダの小・中型二輪車の生産拠点で、06年には浜松製作所の中・大型二輪車を全面移管して一本化する計画もあった。同社との取引が始まると、当社はその評判を聞いた株式会社ホンダトレーディングからも受注するようになった。本田技研熊本はホンダグループにあっては二輪車のマザー工場であり、同社と取引しているということは、ホンダのお墨付きをもらったようなものなのである。「松村がいい型をつくるならうちにも型が欲しい」と、急速に決まった。ホンダトレーディングは、ホンダグループの「ホンダらしい商材の発掘、革新的な商流・物流の創造」を行っている同グループ唯一の商社である。

本田技研熊本、ホンダトレーディングとの取引は、不安定だった当社の経営において計画立案が可能になったという点で大きなエポックだった。05年にホンダトレーディングとの取り引きは当社の売り上げの18%余りを占め、主要顧客になった。ちなみに当社は04、07年に3次元測定機を導入し、以後当社は、同社の海外生産用の低圧鋳造・シェルモールドシリンダーヘッド用金型などを製造している。

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